福岡へ乗り鉄
次は博多で1泊と決めているのだが、あえて佐世保から松浦鉄道でぐるっと北松浦半島を回り、唐津線で福岡市内に入るルートを取った。
博多から反則技を使ったのは,どうしても九州新幹線に乗っておきたかったのと、久留米ラーメンを食ベたかったから。JR九州の車両に当たらなかったのは残念。
JR久留米駅近くのラーメン屋に入りました。一見あっさりしているけど,しっかり豚骨のにおいが残る不思議なラーメンだった。
九州国立博物館は小さくていまいちだった。ちなみに三国志展の看板は予告。
おみくじは小吉。内容はよかったです。これまでの学びを何らかの形にして世に役立てたいいのでご加護をお願いしますとお祈りしました。
もう少しじっくり見て回りたかったけど、かなり疲れてきたので直通バスで博多にもどった。あ,飛梅を見るのを忘れてた!これもまたいつか機会があれば。
中州の夜は蒸し暑かった。
長崎ヘ
今日も始発に乗り、今回の旅の主目的地である長崎へ向かう。
君も平和あってこそそこに止まれるんだぞ(笑)
中華街でちゃんぽんをいただく。
「三菱は国家なり」。
船は長崎湾を出て外海ヘ。
見えてきた。
軍艦島無事到着。年間100日くらいは上陸できないことがあるそうだ。午前中の長崎市内は曇っていたのでそんなに暑くないかと思っていたが、晴れてきてしかも地表が全てコンクリートなのでなおさら暑い。
右側は日本最古の鉄筋コンクリート造りの高層アパート跡だそうだ。
手前は石炭を運ぶベルトコンベアの基礎部分,奥は小中学校跡。
プールの底。砕けたコンクリートがごろごろ。
実際に住んだことのある,あるいは仕事で行き来していたガイドさんの解説を聴きながら、採掘と日々の生活が続いていた当時に思いを馳せる。
それにしても閉山45年でなぜこんなにも崩壊が進むのかと思っていたが、外海なので台風のときなど波が直接建物に打ちつけることも少なくないのだそうだ。今、島で唯一現役で稼働している構造物である灯台は強化プラスチック製だという。左は一部復元された中央事務所跡。
再び船に乗り,外海側をぐるっと半周。
手前右側は数少ない木造の建物のお寺跡だそうだ。
どんなものにも栄枯盛衰は必須とはいえ、大自然の力と人間の営みの無常を見せつけられたクルーズだった。関係ないけど,船の窓越しに撮った写真は微妙にソフトでノスタルジックだなあ(笑)
100万トンドック。
市内に戻ってからは復元された出島を見学。
わずかに海が見えるがわかりますか?
吉野ヶ里遺跡
最初の予定にはなかった吉野ヶ里遺跡なのだが、ー言で言えばだだっ広い。とにかく広い。弥生時代の集落というか、都市の萌芽を再現しているのだからそういうことなのごろうだろう。タイムスリップというか時空が違うというか。
ただ、発掘されたものをそのまま再現しているというよりは、他遺跡の発掘物や魏志倭人伝等中国の史料、日本の後世の史料等を基に総合的に再現しているとのことなのでリアリティという面ではちょっと物足りなかったかな。
ここが邪馬台国の首都だったのだろうか。それともやっぱり畿内説が正しいのか。後日,大分のほうから出土した銅鏡が魏の銅鏡に酷似という新聞記事があった。畿内説が正しいかなと個人的には思っていたけど,これはまだわからんな。
とりあえず佐賀の日本酒がうまかった件
実は九州はほぼ初上陸なのだ。
「ほぼ」というのは、10年くらい前に関門海峡トンネルを歩いて九州入りし、門司港で昼食をとってすぐ帰ったという件があるからだ。
それ以来いつかきちんと?九州を旅したいと思っていたのだが、今回ようやく実現した。
さて、ブログは途中がすっ飛んでいるが、前日は吉野ヶ里遺跡を見て佐賀市で泊まった。大雨被害に遭われた皆様,お見舞い申し上げます。
佐賀市内の居酒屋で夕食をいただいたのだが、どこに入ろうかフラフラしていると、佐賀の地酒をアピールしている店が結構あってこりゃ飲まにゃならんと思った。正直、九州は焼酎のイメージしかなかったのたが、実際飲んでみるとうまかった!
まあ日本酒について語れる舌も知識もないので、店員のおすすめのままにいただいたのだが、今回飲んだお酒は次の3種。
大和酒造「ブラックジャック」「アカカべ」
天山酒造「純天山」
ブラックジャックとアカカべは吟醸酒なのでまずいはずもないのだが、双方とも辛口だがそれぞれ香りは違って楽しめた。
純天山も普通の純米酒だけどイケます。
なお、外食での写真は撮らない主義なのでごめんなさいm(_ _)mみつせ鶏の焼き鳥と佐賀牛(ちょっとだけ)をいただいたことだけ報告させていただきます。
更新遅れてます!
旅は書くこと多すぎて大変だ。
もう少しお待ち下されm(_ _)m